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父、脳梗塞

あけましておめでとうございます。

今年も変わらず、どうぞよろしくお願いします。

さてこの年末年始、実家に帰省する事を決めていた昨年の12月も半ば過ぎの頃。

母からの電話で、父が脳梗塞で入院したとの報せを受けました。

脳梗塞。

言葉は聞いたことあるけれど、どんな症状かなんてじっくり考えた事なかった。

入院。

とうとう来たか、こうなる時が。

祖母は3年前に亡くなり、今祖父がほぼ寝たきりに近い状態でいる我が実家ではありましたが、その祖父を追い越してしまい父が入院。

年齢的にはまだ70前とはいえ、どこか体に異常が出て来てもおかしくはない年です。

父が患った脳梗塞の症状と入院に至った経緯について母から色々レクチャーを受け、事態を飲み込み、まあ年末年始にどうせ帰るんだしその時の様子を実際見てみるまではなんとも言えないな、ととりあえずあまり深くは考えないようにしていました。なにぶんコッチも妊娠中の身でありますし。

ざっくりいうと脳梗塞、というのは脳の血管が詰まってしまい血流が滞り、その影響で身体がマヒして思うように動かせない、言葉が出てこない等を引き起こす病。
父の場合は朝、いつもの出勤の準備中ワイシャツに腕を通せない、腕が上がらないといった事態から母がもしやと思いその足で病院に行った、という事のようでした。
そうして診察しているうちにだんだん言葉も発せなくなり、体も動かなくなり、薬物投与(点滴)治療の為入院、という流れになったようです。
それである程度の効果が認められるようになったらリハビリで回復させていく、と。

どの位まで前のような状態に戻るのかはリハビリ次第なところもあるようで、これからにかかってるらしいという事までは把握しました。

ずっととある車のメーカーの子会社の中古車販売のセールスマンを全うし定年した父はとても運転が上手でした。

その運転がまた出来るようになる日は来るんだろうか。

今はまだなんとも言えません。

そして帰省当日、駅に着くと母が迎えに来てくれ、その足で父が入院する病院へ。

母の話では入院当初に比べるとだいぶ治療の効果が出てきているのか、言葉も相槌ならすぐに反応して出来るようになり、こちらが発した言葉を繰り返したり、短い単語でなら応答も出来るようになったとの事。体の方も普通に歩く事、左手を動かす事、右は手先は動かないけれど少しなら力を加えたり緩める事が可能になった、という事でした。

実際に対面した父は、多少病院での節制された食事のせいなのか少し痩せた印象でしたが顔の表情は至って穏やかで、ややとぼけたような雰囲気さえ醸し出していました。

顔にマヒは出なかったらしいので話をしていても笑ったり、色んな表情が無理なく自然に出来ていたのには安心しました。

だけどもちゃんとした会話のキャッチボールはまだ無理のようで、こちらの問いかけに文章を組み立てて答える、というのは出来ないらしく、何か答えようとしても言葉が出てこず、そのもどかしさに「くそっ」と苛立ちを抑える事が出来ない様子。

そりゃそうだろうな、と思いました。

例えば今まさに私がやっているこんな風に、頭の中に当たり前のように浮かんだ言葉たちを、手を動かしてキーボードを打つ事が出来て、或いはペンを持って字を書く事が出来て、或いは口に出して、正しい発音で発声して、それが相手にも認識されて、自分の思いを外に表現する事が出来る。

そんなあったりまえ過ぎると思い込んでいた動作が、ある日を境に出来なくなる。

言葉を思い出そうとしても出てこない、キーボードを打とうとしても思うようにそこへ指が動かせない、ペンを握ろうとしても握れない、握ってもどう動かせばいいのか分からない。

手に力を入れようとしても入らない、指を動かしたいのに出来ない。

自分の身体なのに。


ある程度の認識力がちゃんとしているだけに、父なりに思うところがあったのでしょう、話をしているうちに涙を見せる場面も。

あんな風に人前で涙を見せるなどした事がなかった父。その思いは如何程のものなのか、私には完全には分からなかったけれど悔しさなのか、情けなさなのか、はたまた母や皆に心配をかけてしまった事への自責の念なのか。諸々の気持ちが混在していたのは確かなのだろう、とは思います。

さらに「良くなりたい」という意欲は旺盛らしく、積極的に動かない右手の指先をひっきりなしに左手でマッサージしたり、動かそうと試みたりしていました。


そんな父の様子を見ているうちに、そしてそういう父の事をありのままに受け入れて、父と一緒にこれからを見据えようとしている母の言葉を聞いているうちに、私の中でもだいぶ事態の整理がついてきた気がします。

この人たちならきっと大丈夫だろう、と。

私は元々、出産を地元でするつもりはなかったのでそれは始めから変わらないのですが、むしろ父がこうなってしまったことで「やっぱり帰らないことにして正解だった」と心から思いました。これからリハビリに入って、きっとその日々は決して平坦な道のりではないはず。それは本人にとっても、それを支える母にとっても。そういう時に、私の出産まで控えていたら母の負担が増すばかりなのでは。そんな状態では私も気が休まらない。

それを予期していた訳でもなんでもないのに世の中うまいこと回ってるもんだ、と都合よく思う事にしました。

自分の選択はいつだって正しいのだ。
強引でも、時にこの手の「根拠のない自信」というのは時に強い威力を発する魔法みたいなものだと私は思っています。それを自分の中でどううまく使いこなすか。

よし、今年のスローガンはこれにしよう。

そしてこれからのリハビリへの意欲を感じ取れた私は、父に最後に「私もお腹の子もこれからあっちで頑張ってくるから、でももし辛くなった時にはパパもリハビリ頑張ってるんだと思って頑張る事にするからね」と告げて帰ってきました。
エレベーター前まで見送りに来てくれ、扉が閉まる前にまた涙する父。

ずいぶんと素直にしおらしくなったもんです。可愛いヤツめ。

あっ、アタシの目からも塩水が。

出そうになるのをグッとこらえ、それぞれの明日に向かって私も東京行きのつばさに乗りました。

そんなわけで、実家に帰省したものの年末年始は毎日病院に父に会いに行き、あまり起きてこない祖父と母と3人での静かな静かな年越し。おっとお腹の子を入れたら4人か。



色んな年越しを年齢の数だけして来たけれど、今回はこういうパターンだったか、なるほど新鮮ではあるなぁとしんしんと降る雪を見つめながら時は過ぎてゆきました。


近くの神社に初詣。


多少気は早いかもしれないけれど、きっと来るであろう明るくあたたかい春が待ち遠しいです。

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ami et soi

Author:ami et soi
小さい頃からバッグが大好きで、とうとう自分でも作るようになってしまいました。

 でも今は、バッグ作りを通して伝えたいことがあります。
 いろいろな想いを、ここに綴っていこうと。

ami et soi  「ともだちとわたし」
並べかえると、わたしのなまえ。

☆作品をちょこちょこ作っていますので「カテゴリ」の「ami et soiの作品」のエントリをご覧くださいませ。オーダーもやります。作品の色違い等も受けられます。

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