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生まれ来る子供たちのために

帰省2日目。

今日は母と山形市まで遠出してきました。

目的は山形美術館

昨日の夜、何気に観ていたTVCMで今高橋由一展をやっている、と知ったのがきっかけです。

これはちょっと前に東京でやっていたものの巡回展で、その時から知っていて行ってみたいな~と思っていたもののそのままやり過ごしているうちに終わってしまっていたんですね。まあそれすらも忘れていたのですが、CMを見てあっと思い出したという。

で母に話したら車を出してくれるという事になり山形デートへとしゃれこんだワケです。
山形市には大学時代の4年間住んでいたので私の中ではプチホームタウン化しています。しかも、あの4年間は今思い起こしても本当に不思議な時間の流れだったとしみじみ感慨に耽ってしまう、なんだかトクベツ感がすごい思い出になっている。なんなんでしょうこの感覚。
とてつもなく自由で、でも本当は社会からは分断された囲われた中での自由でしかなかったのに、でもその囲われた中での自由感の中にいると自分は何にでもなれるような、そんな錯覚が常につきまとっていたような感覚にあった気がします。

だからこそ本当に自分だけの事をひたすら考える事も出来たし、自分の欲望に本当に忠実に動く事も出来た。若さゆえの怖いもの知らずというのも勿論リンクしていたように思う。とにかく色んなものやしがらみから隔離された「あたかも自由な世界」の中で形成された自分の世界にどっぷり浸って、その世界にひたすら酔いしれていられた4年間だったようにも思います。

あの頃の全てが、今となってはキラキラ輝いていて思い出すたびに胸の奥がキュンキュン鳴ってしまうんですね。いやー若かった。うん若かった。青かった。


話を元に戻して、山形美術館に到着。
ここは小さい頃から本当によく訪れていて、特に母が好きだったらしく連れて行かれるうちに私も段々この独特の雰囲気が大好きになり、後の美術館フリークになってゆく礎を築き上げた原点の場所でもあるのですね。
特に印象的だったのは、正面玄関を入るとすぐ目の前にあるピカソの絵。これが私の初ピカソ体験。
この一枚の絵に始まって、後に大学時代パリのピカソ美術館まで行ったのかと思うと感慨深い気もします。

その隣にはマリー・ローランサンの絵があったので、この名前も早いうちから覚えていました。

さて、肝心の高橋由一展はあの鮭の絵が教科書にも載っている位有名ですよね。彼の功績はというと、一言で言えばこういう事だそうで。



江戸時代に生まれ、あの明治維新を経験し、そんな日本の激動の時代の渦中にいて洋画(油絵)をなんとか世に広め、定着させようと邁進した人生だったようです。



今回、いやぁこれは山形市で観られて良かったと思いました。というのも、彼は後年山形に関わりを持って「山形市街図」などの作品も生み出しているのですよ。明治時代の、今でいう旧県庁前の通りを描いた絵なのですが、この美術館のすぐ近くにある130年ほど前の街の様子が描かれてる。勿論その後この通りを車で通りましたとも。ほほぉ~、そうなのか~。という感じです。

時代の変わり目を生きた人の目線が伺えるそれらの絵は、なんだかとても生き生きとしてでも正確に目の前の風景を捉えようとする誠実さも感じられ、とても興味深いものでした。新しい事を始めるには苦労がつきものですよね。油絵具だって当時は無いわけだし。試行錯誤の繰り返しだったんだろうな。でも未来を見据えた確かな志と、確かな信念のもとあちこち奔走していた彼の人生はなんだかすごく充実していて面白そう。そんな風にも思いました。

何年ぶりかの山形美術館を満喫した後、昼食をとり帰路についたのですが、その途中、
山の中腹に見えたのは我が青春時代の象徴とも言える母校。

「わー久しぶりに行きたい!」とのリクエストにも柔軟に応えてくれる頼もしい母、62歳。(あ、ママごめん)

団塊の世代はやはり私達にはないバイタリティがある。

当時の思い出話に花を咲かせながら、大学の敷地内へお邪魔してきました。

入学した当時、私達の代は4期生。つまり私達が入学して、ようやく1年生から4年生まで全学年が揃いました、という本当に開校してまだ間もない、ニュータイプの大学だったのです。

そんな生まれたての新しさもあり、当時は大学の講義や実習なども手探り状態の様な雰囲気があったと思います。まさに先述の高橋由一のような、これから新しい事を定着させてゆくためにあれこれと試行錯誤を繰り返しながら模索していったそのど真ん中にいたような。

あれはあれで貴重なときだったなと今だからこそ思えますね。


そして卒業してから早十何年、再びこの地を歩き、この建物を目の前にして改めて感じた事がひとつ。

あの、今思い出しても不思議な感覚に襲われる4年間の理由には、「この大学だったから」というのもかなりの割合で含まれてるな、ということ。



だってね、見てくださいよこれ。
これ大学なんですよ。美術館じゃないんですよ。この建物。めちゃくちゃカッコ良くないすか?

ぶっちゃけ東京藝大とかみたいに歴史と伝統ある大学でない事は確かですよ。偏差値だって別にそんなに高くなかったし(今はどうだか知りませんが)。この私が当時推薦で入れた位だし。しかも私今だから言えるけど推薦入試の時面接で面接官の前で号泣とかしてるし。なのに受かったし。

でも、それでも大いなる野望のもと、山形県と山形市をあげて建てられたこの私立大学には(この大学の成り立ちについてはこちらをどうぞ)、これから何か、見た事もないような新しいものがどんどん生み出され、世に出てゆくんだね、という希望に満ち満ちていたようにも思うのです。
まさに「生まれ来る子供たちのために」、未来のために。

これも私的歴史観からすると、中々面白い時にこの大学に入る事が出来たのかなと。大学の雰囲気や「色」のようなものがまだまだ定着せず、試行錯誤ながらもとても楽しかった時代。そんな雰囲気もあったからこそ、あの4年間もトクベツ感半端ないのかなぁと。

この建物や、ここから見える風景、ここで出会ったひとや先生たち、過ごした時間の全てが今は愛おしい。ホントに愛おしい。
同級生の皆は、今何を思うのかな。ひとりひとりに聞いてまわりたいような気分でもありますね。


なんにしても、今というタイミングでまたこの地に立つ事が出来て本当に良かった。母に感謝です。し過ぎても足りない位なのですが。


明日の朝、だんなさまの待つ東京へ
戻ります(あれ、もう今日になってる)。

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ami et soi

Author:ami et soi
小さい頃からバッグが大好きで、とうとう自分でも作るようになってしまいました。

 でも今は、バッグ作りを通して伝えたいことがあります。
 いろいろな想いを、ここに綴っていこうと。

ami et soi  「ともだちとわたし」
並べかえると、わたしのなまえ。

☆作品をちょこちょこ作っていますので「カテゴリ」の「ami et soiの作品」のエントリをご覧くださいませ。オーダーもやります。作品の色違い等も受けられます。

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