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ひとつの仕事から見えたこと

前回本当に書きたかったことはこれじゃなかったんだ、というようなことをぼやきましたが、今回「本当に書きたかった」その事を。


とあるご縁がありまして、急なお仕事をさせて頂くことになりました。なんでも中国の工場で生産した商品にちょっとした縫製ミスがあって、しかしその商品は明日納品しなければならない。中国に送り返して直してもらう時間的余裕がない、そこですぐにそれを直してもらえる職人さんを探している、という事だったんですね。
そんな話を頂き、私を紹介してくださった方がいらっしゃったのですがまあそのエピソードに私はまずひそかに感動してまして。

人のご縁はつくづくありがてえ。と。


で詳しく話を聞いたところうん、出来そうかな。と判断したので受けることにしたのですが、数時間後その商品が届き、いざ直そう、という段階まで来たところ。


驚愕しました。


その、商品の縫製に。


初めのうち、糸をほつっていくうちにどういう縫い方をしたのかが窺い知れてきますが、最初は「うわ~どうやったらこんな縫い方出来るんだろう、すごいなぁ」というどちらかといえば「感嘆」に近い感情だったのですよ。
この技術はすごい、と。皮肉る意味じゃなくて優れているな、という意味でですよ。




が、しかし・・・しかしです。

二個目、三個目、とほつっていくうちに「は???」と。

あれ、これはまた違う縫い方?あ、あれ?


戸惑い、そしてよくよく見ているうちに落胆へと変わっていきました。


すごいんです。なにがって、もう細かいところを挙げればきりがないほど色々と。
一言でその様を表すならば、





き   た   な   い 。





すいません。あの時はとにかく一生懸命でその言葉が浮かんでこなかったし、ちょっと遠慮して言えませんでしたけども。

縫製が、とにかくきたない。もう「力ずく」で「無理やり」縫っているとしか思えない有り様なんですよ。

「キレイに縫う」「正しく丁寧に縫う」というような概念はそこには感じられず、「短時間で、とにかく数を沢山上げるために」とか「とにかく縫って、形に仕上げてしまえばいいんだこんなのは」とか「やれって言われたからやってやった」とか、実際に縫った人がそう思っているかどうかはもちろん知らないけれどそんなようなイメージしかこの縫い目からは伝わってこない、そんな印象でした。大げさかなあ。


でも悲しくなりました。やりながら私も「なんでこんな事やってんだろう、私は」と、ちょっと情けなくなったりもしました、正直。

あんな縫製のものが○千円で、百貨店の店頭などに並べられるんだ・・・と。
さらに悲しかったのは、それを持ってきた会社の方が「赤字なんです」とおっしゃっていたこと。

思わず「そんなの、だれも幸せにならないですよね」と私。

それを聞いてなのか、それとも元々ご自分でも思っておられたのか分からないですが、その方は「やっぱりこれからは日本製ですよね」というような事をおっしゃっていたのでそれに少し救われた感じがしましたが、こんなことが現実に起こっているんだという事はあの商品でもってまざまざと見せつけられた感じがして、ちょっと考え込んでしまいました。


中国製、MADE IN CHINAという表記は日々いろんなモノに溢れ、この国で流通しているもののどれくらいの割合なのかは分かりませんが相当数あると思われます。今や日本製のほうが少なくなってきているのでしょうか。印象ではそんな感じ。

しかしMADE IN CHINAにも本当にピンキリなんだなあ、という事を学んだ一日でした。

どうも大きい会社ほどお金が回るので、縫製指導をする日本人を現地に常駐させ、じっくりじっくり教え込んで生産しているところと、そこまで規模が大きくない会社だと全くの丸投げ状態で現地のメーカー(工場)に生産して「もらって」いるところと、その形態はさまざまみたい。
で、やはり成功しているのは現地メーカーとの結託がしっかりしているところな訳ですね。当たり前ちゃ当たり前か。そこで出来上がる商品にも結構な差が出る。

それは理屈としては分かるんですよ。分からないのは、そこまでひどい縫製のものが「流通してしまう」という事ですよ。

なんで、これを見て、「これはとても売れるレベルのものではない」という判断を下さなかったのか。それがとにかく悲しいです。

そんなものを流通させてしまうから、なのか、それとも市場に出したら売れてしまったからなのか、どっちにも問題があるとはいえ、そこには確かに「価値観」があるわけで、私から見た価値観では「ない」んです。でもそれは他の誰かにとっては「あり」だった。


切ない。


しかし供給側が「赤字」なようでは完全に「なし」ですよね。そこはもう少し供給する側が考えなきゃアカンやろ。

さらに願わくば、もっとその商品自体の品質レヴェルを上げてほしい。そうして正当な値段をつけて、それに対してコンスタントにお金が払われていって欲しい。ここが重要なんです。

消費者側ももっと考えなきゃダメだよ。安いものを買うなとは言わないけれど、ホントにそれ、分かった上で買ってるって言えんの?あんたが苦労して働いて夜中まで残業して、頑張ってやっと手に入れた報酬を、そんな誰がどうやって作ってるのか分からないものに対して払ってしまうの?その商品を見ただけでその良し悪しが分かる?自分たちが使い、飲み、食べ、身に着けるものぐらいはせめてちゃんとしたものにしたいよな、とは思わないのですか?そうですかそうですね。(ここのくだりは暴走なんで気にしないでください)


これも考えすぎるとちょっと良くないんだけれど、でもつまりはそういう事ですよね。

お金を払う、というのはイコールその会社へお金を払う イコールそれを作った人に対してお金を払う という事。パチンコにお金をつぎ込む人はテポド○にお金をつぎこむという事、ぐらいに考えといた方が良いんじゃないすかね。これは言い過ぎか?

ちょっと話それましたけど、お金がなくても良いものを無理して買えよ、という話ではないですよ。勿論そこは「自分のできる範囲内で」という大前提がつきます。当たり前ですが。

消費者は、市場の流れを操れる、と私は信じています。
「経営者が会社を成長させる」のではなく「経営者と消費者が会社を成長させる」のだとも。

流行だとか、目先の真新しさなどに乗るのも良いんですけどね。また一段上の乗り方、ってのもあるんじゃないですかね。その陰には常に「お金が動いている」んだから。それを忘れてはいけない。

これからは、そういう見方がもっと必要になってくるでしょう。

なんか途中から書いててわけわかんなくなってきたけど。

さて、こういうことを踏まえて、私はどうしていく?

と我にかえって終わります。サンプル作んなきゃ。

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ami et soi

Author:ami et soi
小さい頃からバッグが大好きで、とうとう自分でも作るようになってしまいました。

 でも今は、バッグ作りを通して伝えたいことがあります。
 いろいろな想いを、ここに綴っていこうと。

ami et soi  「ともだちとわたし」
並べかえると、わたしのなまえ。

☆作品をちょこちょこ作っていますので「カテゴリ」の「ami et soiの作品」のエントリをご覧くださいませ。オーダーもやります。作品の色違い等も受けられます。

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