今は秋
今日で9月も終わり。
今年は環境が変わったせいか、いつもよりも肌で秋の空気を感じることが出来ているように思います。
去年までならこの時期も毎日忙しく過ぎてゆき、「あれっもう冬が来ちゃったの?秋がぜんぜん無かったような気がする~」と考えていたこともありました。
確かに、夏や冬よりはその期間は短いかもしれませんが、この日中は日差しが暖かく、朝晩は冷え込む、という期間が好きです。
しっかりしたアウターを着るまでもないので、ちょっと特徴のあるトップスなんかを着たくなってしまう。素足に靴下、という格好もこの時期ならではですよね。女子高校生でもない限り、冬にあの恰好は最早ありえない体になってしまっている。
そして靴。東京はめったに雪が降らないからそこは変わらないんですけれどもね。
ブーツは今でも履いたっていいんだけど、普通の靴をなんなら今時期だからこそ沢山履きたい。
特に去年あたりからコンビ靴というものに異常な関心がありまして。
なにはなくともかわいいコンビ靴がほしい。白と黒の。紐の。うーんウイングチップもあれば尚良し。
メンズでは結構みかけるのに、これがレディースとなると本当に探すのが難しくてですね、しかしながら雑誌なんかをチラ見してるとおや?コンビの靴が結構載っている。なんだかそういうの増えてきているのね。これは探しやすい。という喜びとともに色々とお店も覗いたりしていたのですが。
で見つけ、さんざん試着し、サイズで悩みましたがコチラを購入です。
ウイングチップは無かったけれどもいいのです。これに惚れてしまったのですから。
少しずつですが自分の足の状態もよく分かってきて、同時に靴の好みも変わってきているのを感じます。
昔はやっぱりヒールのある靴に憧れて、長時間履き続けられない足のくせに無理して買っていた時期もありました。
だけど最近思うのです、「やっぱりいろんな街の中を歩くときにはいろんなお店を見てみたい、そういう時にヒールの靴はそれを妨げるものにしかならない」と。
ヒールの靴を履くときにはあくまでも昔でいうところの「ハレ」みたいな時だけ。しかもほんの限られた時間だけしか履かない、と分かっている時だけにするべきだ、と思ったのです。
あんなヒールの高い靴で丸一日とか歩く人の足や体のほうがおかしなことになっていると思うのですが、それは偏見なのかな。
普段から履く靴はそんなにヒールの細くなくしかも高くないものの方が歩いていても気持ちがいいし疲れない。
そういう意味からいうとこのHENRY CUIRの靴は、私の足とても相性がいいのです。
歩いていても全然疲れないどころか包み込むようなフィット感。ここの靴を履いていて足が痛くなるなんてことがまずない。だから歩いていても気分がアガる。がつがつ街中を歩いていろんな所へ行ける。そうしているうちにステキなお店を見つけたり。なんて。
見た目のデザインももちろん好きだけど、この履いていて安心な履き心地はやっぱりコレクションしたくなりますね~。当分ムリですが。まあ少ーしずつね。
大好きです。
靴についてはそんなに沢山のブランドを知っているわけじゃないし、また沢山履いてきたわけでもないから大きなことは言えないのですがどこぞの有名人があらゆるブランドの靴を沢山コレクションしているのには私は全く憧れは無く。しかしある人に言わせれば「お前は靴を持ちすぎ」との声も聞こえてくるけれど。
履きもしないと最初から分かっている靴を何十も何百も「コレクション」するのは私は全くのお門違いだと思っています。そういう人の神経は理解できない。やっぱり履いてなんぼでしょ。靴なんだからさ。
確かに、確かに高価な靴は履くときもなんだか気が引けます(これは貧乏性だからなのか)。だけど履かなきゃわからない心地の良さがあるのです。そして丁寧にお手入れし、磨いて、しばらく寝かせて、またぴかぴかな靴に足を入れる。手間はかかるものですが、それを楽しむことこそ良い靴を手に入れる醍醐味というもの。
秋の話からなぜこんなにもアツい靴の話へと飛んでしまったのか聊か不思議ではありますが、夏から秋へと変わると足元も劇的に変わっていきますから、という事で。
今月は久びざに小田和正さんの生歌を聴く機会に恵まれ、その歌う姿についついいろんな思いを馳せてしまう9月の終わりですが、ここまで来た道のりを再確認し、気持ちも新たに新しい月へと向かういい機会だったと思います。
今までも、こうして一つ一つ歩いてきた。そうして思い描いた姿を、現実のものにもしてきた。
だから、きっと何があってもダイジョウブ。
時に激しく反省もしながら、時に自分を奮い立たせながら。
まだまだ、道の途中です。
そして私は考え続けます。
誇り高く生きるとはどういう事か、この国を変えるために、今、自分にできることはなんなのか。
スーパーに行ってものすごく悩みます、目の前のこの野菜を買うべきかどうか。このお肉を買うべきかどうか。
必死で探します、丁寧に、まじめにモノ作りをしている人たちを。企業を。
そうやって、少しずつ、複雑な構造の小さな小さな部品のような存在かもしれない私でさえ、毎日の消費活動を、ちょっとしたものにお金を払う行為を、意志を持って変えていったら、また、そう人がもっと増えたら。
きっと変わるんじゃないかな。
変えたいなぁ。
そんなことを今日も明日もぼんやり考え、ただ私はバッグを作るのです。
午後に届くはずの糸を待ちながら。
今年は環境が変わったせいか、いつもよりも肌で秋の空気を感じることが出来ているように思います。
去年までならこの時期も毎日忙しく過ぎてゆき、「あれっもう冬が来ちゃったの?秋がぜんぜん無かったような気がする~」と考えていたこともありました。
確かに、夏や冬よりはその期間は短いかもしれませんが、この日中は日差しが暖かく、朝晩は冷え込む、という期間が好きです。
しっかりしたアウターを着るまでもないので、ちょっと特徴のあるトップスなんかを着たくなってしまう。素足に靴下、という格好もこの時期ならではですよね。女子高校生でもない限り、冬にあの恰好は最早ありえない体になってしまっている。
そして靴。東京はめったに雪が降らないからそこは変わらないんですけれどもね。
ブーツは今でも履いたっていいんだけど、普通の靴をなんなら今時期だからこそ沢山履きたい。
特に去年あたりからコンビ靴というものに異常な関心がありまして。
なにはなくともかわいいコンビ靴がほしい。白と黒の。紐の。うーんウイングチップもあれば尚良し。
メンズでは結構みかけるのに、これがレディースとなると本当に探すのが難しくてですね、しかしながら雑誌なんかをチラ見してるとおや?コンビの靴が結構載っている。なんだかそういうの増えてきているのね。これは探しやすい。という喜びとともに色々とお店も覗いたりしていたのですが。
で見つけ、さんざん試着し、サイズで悩みましたがコチラを購入です。
ウイングチップは無かったけれどもいいのです。これに惚れてしまったのですから。
少しずつですが自分の足の状態もよく分かってきて、同時に靴の好みも変わってきているのを感じます。
昔はやっぱりヒールのある靴に憧れて、長時間履き続けられない足のくせに無理して買っていた時期もありました。
だけど最近思うのです、「やっぱりいろんな街の中を歩くときにはいろんなお店を見てみたい、そういう時にヒールの靴はそれを妨げるものにしかならない」と。
ヒールの靴を履くときにはあくまでも昔でいうところの「ハレ」みたいな時だけ。しかもほんの限られた時間だけしか履かない、と分かっている時だけにするべきだ、と思ったのです。
あんなヒールの高い靴で丸一日とか歩く人の足や体のほうがおかしなことになっていると思うのですが、それは偏見なのかな。
普段から履く靴はそんなにヒールの細くなくしかも高くないものの方が歩いていても気持ちがいいし疲れない。
そういう意味からいうとこのHENRY CUIRの靴は、私の足とても相性がいいのです。
歩いていても全然疲れないどころか包み込むようなフィット感。ここの靴を履いていて足が痛くなるなんてことがまずない。だから歩いていても気分がアガる。がつがつ街中を歩いていろんな所へ行ける。そうしているうちにステキなお店を見つけたり。なんて。
見た目のデザインももちろん好きだけど、この履いていて安心な履き心地はやっぱりコレクションしたくなりますね~。当分ムリですが。まあ少ーしずつね。
大好きです。
靴についてはそんなに沢山のブランドを知っているわけじゃないし、また沢山履いてきたわけでもないから大きなことは言えないのですがどこぞの有名人があらゆるブランドの靴を沢山コレクションしているのには私は全く憧れは無く。しかしある人に言わせれば「お前は靴を持ちすぎ」との声も聞こえてくるけれど。
履きもしないと最初から分かっている靴を何十も何百も「コレクション」するのは私は全くのお門違いだと思っています。そういう人の神経は理解できない。やっぱり履いてなんぼでしょ。靴なんだからさ。
確かに、確かに高価な靴は履くときもなんだか気が引けます(これは貧乏性だからなのか)。だけど履かなきゃわからない心地の良さがあるのです。そして丁寧にお手入れし、磨いて、しばらく寝かせて、またぴかぴかな靴に足を入れる。手間はかかるものですが、それを楽しむことこそ良い靴を手に入れる醍醐味というもの。
秋の話からなぜこんなにもアツい靴の話へと飛んでしまったのか聊か不思議ではありますが、夏から秋へと変わると足元も劇的に変わっていきますから、という事で。
今月は久びざに小田和正さんの生歌を聴く機会に恵まれ、その歌う姿についついいろんな思いを馳せてしまう9月の終わりですが、ここまで来た道のりを再確認し、気持ちも新たに新しい月へと向かういい機会だったと思います。
今までも、こうして一つ一つ歩いてきた。そうして思い描いた姿を、現実のものにもしてきた。
だから、きっと何があってもダイジョウブ。
時に激しく反省もしながら、時に自分を奮い立たせながら。
まだまだ、道の途中です。
そして私は考え続けます。
誇り高く生きるとはどういう事か、この国を変えるために、今、自分にできることはなんなのか。
スーパーに行ってものすごく悩みます、目の前のこの野菜を買うべきかどうか。このお肉を買うべきかどうか。
必死で探します、丁寧に、まじめにモノ作りをしている人たちを。企業を。
そうやって、少しずつ、複雑な構造の小さな小さな部品のような存在かもしれない私でさえ、毎日の消費活動を、ちょっとしたものにお金を払う行為を、意志を持って変えていったら、また、そう人がもっと増えたら。
きっと変わるんじゃないかな。
変えたいなぁ。
そんなことを今日も明日もぼんやり考え、ただ私はバッグを作るのです。
午後に届くはずの糸を待ちながら。