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一泊二日の強行帰省

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遅かった東京の桜は、それでももうとっくに散り終わってしまったけれど我が故郷では今が満開でした。


GWに関係なく、毎週水、土と決まった曜日がお休みのだんなさまが急遽連休を頂けることになり、その知らせを聞いて思い立ったのが私の実家に帰ること。その理由として、

一、お墓参りに行って、亡くなったばばちゃの墓前で二人揃って結婚の報告をしたいとかねてから思っていたから
二、この東京砂漠の人の多さに辟易としていて、まっすぐ歩いても人とぶつからない所に行きたかったから
三、遠くにいて中々会えず、こちらの生活の様子のことを心配しているであろう実家の両親に私達の姿を見せて少しでも安心して欲しかったから


という感じだったのですが。
さすがに急遽「今日決めて、明日行く」ということに相当の抵抗を感じただんなさまは「それは突然すぎるし相手にも悪いのではないか、第一自分の心の準備が出来ない、お前は誰とでも抵抗無く話が出来る人間だからオレの気持ちなんか分からないだろうけど、嫁の両親の家に泊めてもらうって事がどれだけオレにとってプレッシャーになることなのか考えてみろ」等々・・・。
確かに、去年の大晦日、始めて結婚の挨拶に行った時は日帰りで、それ以来の二人揃っての帰省、しかも今回は初めてのお泊りという事に私がこだわったからというのもありますが。
しばらく猛反対していたにもかかわらず、最後には折れてくれて私の我儘を聞き入れてくれ、次の日には東京駅のホームに二人揃って行くことが出来ました。


その反対っぷりを見ていて、これは諦めた方がいいかな・・・と思いかけたこともあったけれど、なおさらそんなだんなさまの人見知り(?)をちょっとでも軽減できたら、だんなさまがそこを越えることが出来たらきっとその先にはもう一段階の人としての成長が待っているはず、という何とも上から目線で余計なお世話の(笑)義務感がむくむくと湧き上がってきたものですが、結局折れてくれた時にはなんて心の広い人なんだ、私が思っているよりもずっとこの人は器が広かった、そんな人と一緒になれて本当に良かった、ああありがたやありがたや~、と思わず拝みたくなってしまいました。

しかし今回はただ実家に帰る、ということではなく、新幹線で帰るとはいえ必然的に栃木、福島という放射線濃度が濃い地域を通らざるをえないという事実もまたついてくる。そこを躊躇する気持ちも確かにあったものの、今回は帰りたいという気持ちの方がさらに強かったのでとにかく新幹線の車内でもマスクをはずさないでいました。

実家に到着してお墓参りに行き、無事に墓前にて報告を済ますことが出来、そのまま二人で私が通った小学校まで歩いていきました。

殆ど人に会わず、ここは人が本当に住んでいるのかしらと思う位の静けさ。通る車も数える程度。立ち止まればただ風の音しかしないほど静かで、見通しのいい道に出ると遥か1キロ先くらいまでそこいら中が見渡せる。空はどこまでも広く、ちょっと残念なのはそれを遮る数本の黒い電線。
でもここを歩いていると、空ってこんなに広かったんだなぁ、と改めて思い知らされるのです。

今私が住んでいる所とは真逆の世界。

だからこそ、あの頃のキモチもそのまま残っているような気がする。

私が生まれ育った場所も、今住んでいる場所も、そして買い物によく行った福島も、今見てもなんにも変わらない様に見えるのに。

空気は変わってしまった。何も変わらないように見えても、確実に変わってしまったんだ。

そう考えると、その日の曇りの天気も手伝ってかとても物悲しく目に映る光景。

もし、この風景をもう二度と見ることが出来なくなってしまったら。
この道をもう二度と見ることが出来ないとしたら。
しかも見た目には、なにひとつ変わったところは無いというのに。

今、放射線の影響で自分が住んでいるところから非難を余儀なくされた人たちが帰ってきているという現実もあるようですが、私にはその気持ちが全く理解できないとはいえません。その故郷に対して、愛情もそうですが誇りを持っていれば尚更です。

これからこの国はどうなっていくのか。それをどう作り上げていくのかは、この国に生まれ育った他の誰でもない、自分の言動によって決まるんだ。

そんな風に考えることが出来る人が、もっと増えていけば。
そして私はどうするべきか。何をしたいのか。今までそうやって考えて、自分で選択して生きてきたように、これからも変わらず生きてゆくだけです。
 


さて話が反れましたので、元に戻します。そんなこんなで私の思春期真っ盛りの頃を過ごしてきた故郷にだんなさまと帰ることが出来て本当に満足したし、だんなさまに改めて感謝の気持ちでいっぱいでした。

次の日、米沢からまた新幹線に乗って大宮で降り、そこからある用事があって渋谷に行ったのですが。
乗った電車は湘南新宿ライン逗子行き。

座席が一つしか空いてなかったので上の荷物棚に衣類が入ったバッグを置き、私が座ってだんなさまは立っていまして、左隣の人のバッグから覗く何とも愛らしいプードルちゃんと右隣に座っていたV系バンドにファンレターを書き綴る(ってガン見してたのバレバレだし)女子のつけ爪の長さ(5,6センチはあった)に目を奪われながら渋谷で降り、電車が動き出したその瞬間。

「あ、荷物!!!」

時既に遅し。

急いで駅員さんにその旨を話すと荷物を探して回収してくれるのは、最終駅の逗子に着いてからでないと出来ない、との返事。しかもそこで荷物が見つかったとして、逗子まで荷物を取りに行かないといけない。

あえなくそこで二人は別行動を取ることになり、私は渋谷でそのまま用事を済ませ、だんなさまは逗子までコース。
その後は無事逗子で荷物を回収したとの連絡を受け、更にだんなさまの手に無事渡り、再び渋谷でおちあって漸く帰宅。

その日、だんなさまは米沢から逗子まで、5県一都縦断を果たしましたとさ。がんばった。

かさねがさねありがとうございます。もう足向けて寝られない。だんな様より先に寝ることなんて出来ない。寝るけど。あたしの方が数倍寝付き良いから。

たった二日間だけど、思い出いっぱいの旅になりました。ハプニングも時が経てば笑い話になり、記憶により強く残ることを思えば結果オーライってヤツです。だから行ってよかった。と私は思ってます。

街にはマスクをする人が随分減った気がしますが、皆もうそれなりの覚悟をしたってことなんでしょうか?
それとも私が気にしすぎなのかな?
なんにしても、決めるのは自分。判断し、行動するのも自分。それについては、誰も責める事は出来ない。責任は自分にあるのだから。

そういうことを分かっていない人、大人になってもまだまだいる気がします。ま、他人様のことですからね。コレばっかりは。

そんなことをいってるヒマがあるなら自分のことを考えなければ。ミシンは上手くいけば5月中に手に入るかもというウワサ。よし。もうすぐだ。

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ami et soi

Author:ami et soi
小さい頃からバッグが大好きで、とうとう自分でも作るようになってしまいました。

 でも今は、バッグ作りを通して伝えたいことがあります。
 いろいろな想いを、ここに綴っていこうと。

ami et soi  「ともだちとわたし」
並べかえると、わたしのなまえ。

☆作品をちょこちょこ作っていますので「カテゴリ」の「ami et soiの作品」のエントリをご覧くださいませ。オーダーもやります。作品の色違い等も受けられます。

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