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あっっっっ  という間に3か月て

いやーお久しぶりでございます。前回の記事からはや3ヶ月の時が流れていきました。もうこんなにあいちゃったんじゃただでさえごく少ない読者様も、もはやだーれも見ていないことでしょう。きっとそうでしょう。うふふ。

でもいいんです。これは文字通り「日記」なので。自分のための備忘録ですから。未来の自分がこの記事を読む為のもの、として基本書いてますから。さあいきましょういきましょう。


なんだかんだで出産も無事終了し、最初の1ヶ月もなんとかかんとか、髪を振り乱し眠気と戦い、意識もふわふわと宙に浮いているような感覚のままやっと過ぎていき、だんだんと完全な引きこもり生活から徐々に外へと足を踏み出し、新しく加わったちいさな家族もすくすく育ち、我が家に新しい風を日々送り込んでくれています。

生まれたとき2976gだったヨシオ(仮)くんも今ではとうにその倍の重さに。
そしてめでたく生後3か月を迎えようとしています。

この、たった3ヶ月の間に、ただヨシオが成長するだけでなく他にもあんなことやこんなことが我が家には起こりました。
良いことならいいのですが、一言でいえば「波乱」に尽きる。今後の生活に不安が強くなるような事の連続でした。

しかし今ではその波もなんとかおさまり、ようやくさざ波程度にまでは落ち着いたかな、と。

これまでの自分の人生について、否応なく反省させられた出来事でした。

しかしまだまだ生きている限り、どこまでも道は続くのです。

とりあえず無理矢理でも笑いながら、なんとかかんとか歩き続けるしかない。

そんなことを再確認した出来事でもありました。




生まれて初めて我が子を授かり、母になって自分は変わったのかな。

ふと、そんなことを思います。

あの点においては変わらないような気もするし、この点においては変わったような気もするし。

ただひとつ言えるのは、変わる変わらない、というよりも「それまでに無かった全く新しい感情がひとつ、自分の中に加わった」ということでしょうか。

うん、この表現が一番しっくりくるような気がする。

それが加わったことで、そこから広がっていく視野は本当に広大でもありどこまでもどこまでも「連鎖」していくものなんだなぁ、と実感できます。つながる、ってこういうことなんだと。

「つながる」だの「絆」なんていう言葉がむやみに多用されるようになると、もうその言葉の響きを聞いただけで「またかよ」という気持ちの方が先に出てきてしまう。言葉の使い方はこういうことが起こるから時に難しい。


でもそれを実際に感じる体験をすると、「ああ、こういうことなんだなぁ」としみじみその言葉を噛み締めたくなる。

それでいいんだと思います。


ようやっと、そんな思いをここに書こうという気になれました。いがったいがった。

さて、少し予定が早まりましたが明日から我が故郷へ帰省します。

勿論ヨシオも連れて。
そして暫く実家でゆっくりしながら、じーじとばーばにヨシオを存分に可愛がって頂く目論見でおります。

なにぶん私の両親は、出産した次の日にすぐ病院まで出向いてくれたは良いもののガラス越しにほんの数分だけヨシオの姿を拝むと、その日のうちにとんぼがえりだったのです。
以来、ずーーーーっとヨシオの姿は写真やFACETIMEでしか見てなかったので、生ヨシオとのご対面をきっと待ち望んでいることでしょう。


なぜその日のうちに帰らなければいけなかったのか。実家にはほぼ寝たきりの祖父が居たから。
彼を一人きりにしたまま家を丸一日なんて空けられない。かといって施設に頼もうとしても、本人が頑として首を縦に振らない。無理やり連れて行こうとしても全力で抵抗される・・・といった具合で、先にほぼ寝たきり、と書きましたが意識ははっきりしており(なんだけど両親の言う事には全く聞く耳持たずの頑固さ)、全く体が動かないわけでもないだけに、両親もその我儘ぶりにほとほと困り果ててながらも世話をしていた状況の中、一瞬でもいいから見に行こう、というわけで来てくれたのです。
退院後のリハビリも順調ではありましたが、まだまだ完治ではなかった父も一緒にです。



さっき、当初予定していた帰省の日程よりも少し早めに帰ることに、と書きました。


つい先日、祖父が他界したという知らせを受けたからです。


じっちゃは結局、ヨシオの顔を見ることなく逝ってしまいました。でもたとえ見たとしても、ちゃんと認識出来たかどうかは謎ですが、やはりとても残念です。

今回は一人身ではない事情もあり、すぐに駆けつけることは出来ませんでした。
でも実家に帰ったら、ちゃんと報告しようと思います。

祖母が亡くなる直前まで祖父のことを心配していただけに、きっとあの世へ行ってもさみしくはないでしょう。


祖母が亡くなった後の祖父の介護でそれはそれは大変だったであろう両親には、今まで本当にお疲れ様でした、という気持ち。

そして私が母になったように、自分たちが両親と同じ立場にいずれなるんだろうという事を考えたとき、思いはやはり迷走します。


つながるって、こういうことでも、あるんだなー、

と。



雨が降っています。



ばばちゃが亡くなった日も雨だったな。あの時は10月だから寒かったけど。


明日はヨシオ生まれて初めてのしんかんせん。しかもグリーン車。生後3か月で。

私も生まれて初めてのグリーン車・・・生後さんじゅうなんねんとなんかげつで・・・。



うん。時代はどんどん進化している。


そんなもんです。
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それから

というわけで入院が決まり、その後一体どうなったのか。その全貌がようやく、ここに明かされる(大袈裟)。


入院してすぐに陣痛室にて、お腹にモニターをつけ赤ちゃんの心音を確認しながら一時間に一錠ずつの誘発剤を服用しながら陣痛を促していくという方法で始まりました。いよいよ。

果たして陣痛はくるのか!?

とドキドキしながらベッドに横になり、2錠、3錠、4錠、5錠目…と飲み進めていくうち、何度かお腹は張り弱いけれど痛くなる時もある。
でもこれは全て昨日までに経験していた程度のもので、それ以上にはなってないな、というのが実感。本当の陣痛って、まだまだこんなもんじゃないんでしょ?こんな鼻とかほじってられるような余裕もないんですよね(いやほじってないですよ)??

そうこうしているうちに、いつも妊婦検診で診て頂いてる担当の先生が、数人の手下…じゃなくて部下?の医師たちを従えて回診にやって来ました。をを。白い巨塔みたい(後に知ったのですがこの先生は産科医長かなんかの偉い先生だったらしい)!
でもこの先生はいつも穏やかな方なので、「どうですかー?」と微笑みを浮かべながら聞いてきます。
特に進展がない事を告げ、あっという間にその集団は去っていったのですが…事態が急展開したのはその後の事。

病院食に3時のおやつがあった事を知り、へえーなんて支給されたそれを恐る恐る毒味しては、ほほー中々イケル!などと1人ご満悦になっていたところへ先生がやってきて徐に発したその言葉から、あれよあれよという間に急にその場がバタバタとしだしたのでした。

「モニターをみていると、お腹が張って子宮が収縮した時に赤ちゃんが苦しそうにしている(多分心拍数が下がってしまうという事なのでしょうかね)。このまま陣痛を起こすと赤ちゃんの身が危険になる恐れがあるので、経膣分娩でなく帝王切開手術で赤ちゃんを取り出すのが良策だと判断しました。」

大体こんな感じの事ですよ。



ええええええええええええええええ。
なんですって。


でもそんな事言われちゃうと、そんなん赤ちゃんが元気で産まれてくれる事が一番大事な訳で、そのためなら別に自然分娩だろうが帝王切開だろうがなんだっていい訳で。
まあ実はこれまでも、帝王切開の可能性が無いわけではなかったんですよね。その辺は色々とありましてね。だからその事について一度も考えた事はなかったのかというとそうでは無いわけで、もしそうなったとしてもその方法しか無いんならしょうがないわな、とは思っていたので、その時がやってきた、というだけなので私自身はある程度すんなりその事実を受け入れる構えが出来ていたんですね。
「あ、わかりました。赤ちゃんの無事が一番大事なことなので、よろしくお願いします。」

それしか返す言葉はありません。

というわけですぐさまだんなさまにその旨を伝える連絡がいき、手術の為の諸準備がわらわらと一気にとり行われた、という訳なのですね。点滴、レントゲン、トイレに行く必要が無いように尿管への入管、採血、血圧測定、剃毛(ていもうーーーー!!!)、着替え、あれやこれや、あれやこれや。
入れ替わり立ち替わり色んな方がやってきては私の体に色んな事を施していき、なんだか一気に重病人にでもなっちまった感が。
でもまだこの辺ぐらいは余裕があった。無かったのは周りの人の方だと思います。そのギャップがまた興味深いですね。そんなもんなのでしょうね。

だんなさま到着。改めて先生からこの手術に至った経緯を説明して下さり、2人で納得。そしてすぐに手術の予約を入れるらしいのですが、如何せん私が入院していたのは総合病院だったので予約が取れるまでちと時間がかかるらしい。

手術をする事が決まったのは16時ごろ、そこからあれこれ準備や予約をして、多分開始は19時半位になるかも、という説明を受けてその時間まで待ち続けたのですが、その時間が近づくとどうやらまだまだ時間がかかるらしい事が判明。

うえーまだ待つんかいなーやるならちゃっちゃとやっちゃってくれーという心の叫びも虚しく、ようやっと手術開始時間のお知らせ。20時45分との事。

ここまでに流れた時間の重苦しさと言ったら。私は私でベッドに張り付けにされていて動けないし、飲む事も食べる事も許されない。

だんなさまも落ち着かないのか、そこに座っているしかないけれど正直待ちくたびれている様子。

健診の時もそうだったけど、全く病院って所は矢鱈と待たされる場所なんだなぁとぼーっと考えながら、私はヘッドホンで音楽をひたすら聴いておりました。

時がやって来ていよいよ手術室に移動。

ストレッチャーというものに生まれて初めて載せられ、手術室という所に生まれて初めて入るんだ。わーすげー、ドラマや映画で観たまんまだー、わーわーと密かにテンションが上がりながら手術室に入ると…


緑色のタイル張りの部屋。天井には観た事のあるあのでっかいライト。手術着を着た人達。

ここではたと我に返り、あっやべー、いよいよ始まってしまうのね。こわいこわい、麻酔こわい。背中にするってどんだけの痛みなのーこえー逃げ出してぇー!!

とどうあがいてもムダなのにここへ来てちょっとビビり出すチキンな私。まあもちろん言葉には出しませんでしたけど。もうなるようになれや!とハラは括ってあるので気持ちは完全にまな板の上の鯉です。

そしてそこから…麻酔を打たれ、手術が始まっていくのです。


もうーこの流れは書きたいけど書き出したらキリがないのでもう割愛しちゃいます。が、正直な感想としては、赤ちゃんを取り出す瞬間というのがあまりにも実感がなさ過ぎて感動も何もなく、ただただ驚きでしかなかった。

赤ちゃんの「ギャー」という声も聞いたし、取り出した直後の姿も勿論見せてもらった。
それを聞いて、そして見て、先生にも「良かったね、元気な赤ちゃん生まれましたよ。」と満面の笑みで上から覗き込まれて、とにかくああ良かった、と心底ホッとしたのは事実です。
しかし…感動というか、ホントにあの声とあの姿は自分の身体から出てきたものなの!?という実感がさっぱり分からなくて。

下半身は麻痺してるし、手術の様子は当然私には見えないし、おいおいおい、こんな事なら手術の様子見せてくれりゃ良いのにーと思いましたが。
グロいの無理なんでその意見はすぐさま私の中で却下しましたが。


と、初めての帝王切開での出産はこんな感じで過ぎてゆきました。出てくる瞬間のこの実感の無さは自然分娩とは真逆かと思いますが、何せ帝王切開は「手術」です。
赤ちゃんが出てきたらそれで終わりではない。
お腹を閉じなきゃなりませんね。麻酔も効いてます。
その後は一気に眠気に襲われ、遠のく意識。
ふと目を覚ますと朧げではあるが、なんか音楽が流れてる。


なぜ大塚愛なんだ…(センセのご趣味なんでしょうねきっと)

そして手術は無事終わり、またストレッチャーで運ばれ個室へと。
そこから麻酔が完全に切れる朝までの時間、それが私にとってはとにかく試練の時間でした…。

長くなったので詳細は割愛。

長かったような、しかし短かったような、たった一日で怒涛の展開の出産劇ではありました。

出産にはそれぞれのドラマがあるとはいいますが、またひとつ新たなエピソードが加わったというわけですな。

入院とな

予定日をほぼ一週間過ぎ、また検診の日がやってきました。

さてここで何を言われるかなー。

予想ではあれかな、もう2、3日様子を見て、週末またいでそれでも産まれなければ入院とかになるのかな?

なーんて思いながら病院に行くと。

「明日から入院しましょうかね。」


あ、ハイ…。



ハイ?



入院ですか。



明日ですか!?


なんでも子宮口がまだ固く、赤ちゃんもおりてきていないそうで…
診察の結果、誘発剤を使っての誘発分娩をする事になりました。

あらららら。
ま、まあ、正直ホントいつ産まれても良いどころか、腹の子には申し訳ないとは思いつつ、更に責める気持ちも毛頭ないという前置きをしつつ、早く産んでラクになりたいわーこの妊婦生活もういい加減飽きたわーぐらいのボヤキまで出ていた頃ではあったので、不安よりもおぉう…これでようやく事態が幾分前進するのね…と安堵にも似た気持ちになったのは否めません。

あれこれと明日の入院手続きの説明やら採血やら済ませ、帰り道の途中にあったお寺の脇の小道がちょっとした桜並木になっていることを教えてくれたのは、検診に付き添ってくれた義母。

歩いてみるともう桜の花はだいぶ咲いている。アングルによっては満開といってもいいのではないかというくらい。

今年はとても早かった開花、この子がちゃんと桜を見られるのは来年かな。

一緒に見られるように、一緒にがんばろうぜ。

おかあちゃんと君と、おとうちゃんと3人でがんばるんだぜ。

とにかく元気に出てきておくれ。

桜の花越しに見える空の色がとてもキレイだった、少し寒さが戻ったある春の日。

このジャンルで思い通りにいくことなんてね。

予定日直前の検診にて「まだ赤ちゃんが下りてきていない」と言われ、迎えた予定日も華麗に何事もなくスルーしてはや数日。

ブログを更新する余裕も綽々。

うーん、こればっかりはやっぱり、予定通りや思い通りになんていくわけがなく。

世の中には、日頃の自らの行いによってその意思通りに物事が進んでいくことと自らの意志や願いなんかとは全く関係なく起こることがあるんだろうなぁ、などとぼんやり考えます。


しかしながら、お腹の中では小さな命が日々うにうにと動きまわり、時には定期的なしゃっくりの鼓動を感じるので、まあ元気ではいてくれているようで。それが一番大事。

腹の中に自分とは違ういきものがいる・・・。


全くもって不思議な現象であります。
もはや私の理解の範疇なぞとうに超えまくっています。

でも、こういうものなんでしょうね。

今はすべてを受け入れて、それに対してあれやこれやと余計な心配などせず、時の流れるままに過ごしていくしかない。

と文字通り腹をくくっております。


おっと、前回のこの記事の続報を。

あれから父は無事退院し、リハビリもどうやら順調のようでめざましい復活ぶりを見せてくれています。定年してから続けていた卓球のおかげで足腰が鍛えられていたのか歩行はもともと問題なかったのですが、入院当時は動かなかった右半身もだいぶ動くようになったとのこと。会話もだいぶスムーズになってきました。ただ本人的にはまだまだ思い通りに言葉が出てこなかったりすることもあり、もどかしい思いも多々あるようですが。

それは本人の「良くなりたい」という意志の強さも大いに関係していることだと思います。そしてそれを傍で支える母の気持ちと。

やはり入院当初は本人はもちろんのこと、母の心労はいかばかりかと心配していたものですが本人なりの落とし前のつけ方でもってこの事に立ち向かっていったようです。

要は「すべてを受け入れて、それでも笑う事を忘れない」って感じなんでしょうかね。ざっくりいうと。

この「笑う」というところに、全ての気持ちが集約されているのかなと。


その心構えがこれからの私にとっても、ますます必要になってくるんだろうなという予感。


ただし、あらゆる情報収集と整理整頓、自分のフィルターを常にすっきりとしておくことも。


さあて。花粉は飛びまくっていそうですが、日課のお散歩、行きますかね。


このマークともあと少しでおさらば出来るかな。

2年という月日

あの、東日本大震災から丸2年の時が経つんだなぁとふと思ったのは3月11日になるちょっと前。


その時、ええええっという驚きがまずあった。

もう2年ですって!?

そんなに経つんだ…と。


普段の時間の感覚でいう「2年」と、あの震災からの「2年」という感覚には完全にギャップがあり、もうそんなに経ったなんてにわかには信じ難い事実だった。

ついこの前の事のように、どころかあれから時間なんてちっとも進んでないんじゃないかとさえ思ってしまいたくなる。
あの事が起こって以来、自分の中で何かが確かに変わった。激変した。その中で止まったものもある。消滅したものも、勿論生まれたものもあるけれど。

それでも、今の自分に立ち返って見ると私のお腹はパンパンに膨れ上がり、それだけでももう結構な時間の流れを見せつけられた感じがした。こうなるまでにだって10ヶ月。その前の事を思い返してみる。
確かに、色々あった…。

やっぱり2年経つんだなあ。
そう思うと同時に少しだけ、これからどんどん時が流れ、この「時間が止まったような感覚」も次第に薄れてゆくんだろうか、という恐怖感にも似た感情が自分にまとわりついた。

そして迎えた3月11日。あの激しい揺れが起きた時間、雑踏の中で黙祷しながら当時を思い返していた。
自分自身仙台に住んでた事もあるし、親戚や友達や昔の職場で一緒だった人たちはもちろん、その親族や知り合いの方が誰かしら被災した事、もしかしたら亡くなってしまっているかもしれない事を思うと胸が潰れそうになる。自分もあの揺れを経験して思わず叫びながら外に出た事、その後TVから流れてきた映像、全く繋がらない電話、止まった電車、計画停電、デマだったメール、自分だけでなく世間が、社会全体が混乱の渦にあった初めての経験。

その後明らかになってゆく数々の恐ろしい事実。
自分は、というと結婚したばかりで会社も辞め、心身共に全く新しい環境に身を置いて生活を始めようとしていた最中に起きた出来事。
期待と不安、が不安一色に塗り替えられてしまった出来事。
これから一体どうなるんだろうか、生活はどうなるんだろうか、子供は出来るんだろうか、作ってもいいんだろうか。こんな明るい未来の見えないこんな時に、私達は子供を作るべきなのか。

そんな事さえ考えた時期もあった。


でもやっぱり時は流れ続け、私も色々と学び、情報を仕入れ、自分なりに結論を出し、幸運にも恵まれて今ここにいる。
あんな事があっても、真っ暗闇の中でも、少しの光でも探し続けてきた結果が今なんだと思うことにした。


あの震災によって大切な大切なもの、人、土地、心のよりどころを失ってしまった方々が少しでもその闇から光を見出せる日が来ることを願います。
あの頃も復興支援とも言えないようなちっぽけな事しか出来なかったけど、今年も宮城ふるさとプラザでささやかなお買い物をして帰ってきました。

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ami et soi

Author:ami et soi
小さい頃からバッグが大好きで、とうとう自分でも作るようになってしまいました。

 でも今は、バッグ作りを通して伝えたいことがあります。
 いろいろな想いを、ここに綴っていこうと。

ami et soi  「ともだちとわたし」
並べかえると、わたしのなまえ。

☆作品をちょこちょこ作っていますので「カテゴリ」の「ami et soiの作品」のエントリをご覧くださいませ。オーダーもやります。作品の色違い等も受けられます。

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